ゴルフヒストリー
日本で最初の女性ゴルファーは、芳紀まさに15歳の小倉末子さんだった。婦人競技の原点は、1905年(明治38年)の「レディースコンペティション」。
宮里 藍選手の出現を境に一挙に花開いた女子ゴルフ。現在の隆盛を思い、女性ゴルファーの歴史に思いを馳せる時、草創期のシーンをふと探りたくなる。
日本最初のゴルフ場は1903年(明治36年)に創設された神戸ゴルフ倶楽部。そのゴルフ倶楽部に女性のクラブハウスができたのは、1904年(明治37年)だから当時の風潮からすれば意外にも早かったといえる。
そして1905年(明治38年)には、同倶楽部で第1回の、日本で最初の婦人競技が開催されている。ただ、ここに至るまでは、婦人ゴルファーといえば外国人ばかりで、日本人の名前が登場するのは、1907年(明治40年)である。
では、日本での最初の女性ゴルファーは誰?という興味が湧いてくる。1930年(昭和5年)に創刊された「日本のゴルフ史」によれば、日本で最初の婦人ゴルファーは、神戸ゴルフ倶楽部のメンバーでもあった小倉庄太郎氏の令妹の末子さん(当時15歳)という記述がある。末子さんは、後に東京音楽学校教授となった人物だ。
神戸ゴルフ倶楽部は、創設当初は9ホール、2年後に18ホールとなった。競技会も盛んに行なわれるようになり、婦人競技の参加者も20人ぐらいに達していたという。ただ当時は、女性は会員として認められず、プレーも土曜の午後と日曜日に限定されていた。会費もなく、年会費も不要、プレーフィも無償という記述もある。いささかアイロニカルな表現になるが、婦人ゴルファーの出現を良しとしない風潮が底辺にあったのではないかという思いに駆られる。
日本人最初の女性ゴルファー小倉末子さんの名前はその後みられなくなり、次に登場するのは、住友孝子さん。記述では、1917年にアメリカから帰国、翌18年に六甲でプレーしたとされている。住友さんを日本女性ゴルファー第2号と言わず、関西で2番目の日本人女性ゴルファーと表現しているのは、日本各地で次々とゴルフ倶楽部が創設され、正確な情報が得られない状況だったため、断定するには疑問符がついたというのがその理由だろう。
1919年(大正8年)には、横浜・根岸の外国人婦人と神戸ゴルフ倶楽部の対抗戦「第1回婦人選手権」が開催された。しかし、この頃でも日本人の名前は表立っていない。日本人の婦人プレーヤーの名前が多くみられるようになったのは、1920年代に入ってからである。日本初のパブリックコース雲仙(1913年)、鳴尾GC(1920年)、舞子CC(1920年)と次々とゴルフ場が開設され、関東でも日本人初の創設倶楽部「東京ゴルフ倶楽部」(1914年)もでき、こうした状況を背景に日本の女性ゴルファーの動きも活発化していった。
日本女性の名前が、神戸ゴルフ倶楽部のハンディキャップリストに5人記載されたのは、1925年(大正14年)で、これを機に関西レディース倶楽部が発足する。
この組織は、「ジャパン レディース ゴルフ倶楽部」と名づけられ、一時、舞子カンツリー倶楽部の婦人室に置かれていた。その後、多くの女性ゴルファーが参画、昭和5年には30人を数えるまでに組織化が進化した。大正14年9月に行なわれた神戸ゴルフ倶楽部のレディースチャンピオンシップで、西村まきさんが優勝、日本女性で初の選手権者となっている。
草創期のゴルフとともに歩んできた女性ゴルファーの歴史。今や、日本のゴルフ界の屋台骨とさえ言われる成長振り。いつの時代もマーケットは女性が作るといわれる所以。
納得せざるを得ないのは今の状況が如実に物語っている。