ゴルフヒストリー

NICE ON 9月号【Vol. 443】


わが国のゴルフ競技普及にインパクトを与えた昭和天皇の親善試合

今でこそゴルフは国民的スポーツとして社会的に認知・普及されているが、草創期には一般の人々には、未知の競技だった。
初期の日本ゴルフ史を紐解いてみると、その1ページを飾るエピソードに出くわす。
1922年(大正11年)4月19日、東京ゴルフ倶楽部 駒沢コースで行なわれた日英両国の皇太子殿下による親善試合だ。この模様は、新聞各紙にも大きく報じられたため、国民の間に「ゴルフ」を認識させ、後の競技普及や発展に大きなインパクトとなったと言える。
あるゴルフ史の記述によると「昭和天皇がゴルフをお始めになったのは1917年(大正6年)、16歳の時」とある。殿下にゴルフをすすめたのは、西園寺八郎氏と森村市左衛門氏。帝王学のひとつとしてゴルフに親しんでいただきたいというのが発想である。
当時、側近はだれもゴルフを知らなかったため、傳育官たちを駒沢コースに招きプレーを観戦させたという笑えない事情もある。

赤坂離宮内には、西園寺氏の設計で4ホール(6ホールという説もある)のコースができ、これが殿下の練習場となった。さらに、1922年(大正11年)には、新宿御苑内に大谷光明氏設計による9ホール、1736ヤード、ボギー(現在のパー)32の皇室専用コースが、那須の御用邸にも6ホールのミニコースが造られている。こういった環境の中、殿下はゴルフの技術を磨かれたという。この影響で皇族方の間にもゴルフが浸透していった。後に東京ゴルフ倶楽部の総裁に就任された皇族もいたほどだ。
こうした流れの中で、日英皇太子による親善試合が実現する。
試合は、皇太子と大谷光明氏、英国皇太子と首席随員ハルゼー海軍中将の4人による4ボールで行なわれ、英国側の9ホールズ・1アップで和気藹々のうちに終了した。
制服警官の立ち入りは興をそがれるという理由から、会員が警備に当たったという。日英両皇太子のキャディーを勤めた会員の令息も付属中学の制服姿だったというから時代を彷彿させる光景だったに違いない。昭和2年には、関東のプロゴルファー第1号となった安田幸吉氏が、ドライバー2本を製作し、天皇に献上している。
新宿御苑のコースも、吹上御苑内のコースも時局の悪化のために取り壊された。このようにゴルフに親しまれた昭和天皇も戦後は、2度とクラブを手にされることはなかった。
ゴルフ史を飾った皇太子殿下の親善試合。意外なところにゴルフ普及の糸口があったということなのかも知れない。

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