ギャラリースタンド

NICE ON 12月号【Vol. 422】


世界で最も難しく常にコースランキングで1位を飾る「パインバレーゴルフクラブ」
その設立と完成までには、執念と友情、そして、多くの知恵と物語が存在した

どのゴルフ媒体が何度コースランキングを発表してもいつも世界で1番難しいコースの項目で1位に掲げるのはアメリカ・ニュージャージー州にあるパインバレーゴルフクラブ。
設立から100年を超える歴史があるが、これまで1度もトーナメントは開催されたことはなく、世界に名だたる超厳格なプライベートコース(会員を構成するのは世界中から選ばれた1300人あまりでビジターのプレーは不可能に近いと言われる)としても知られるだけに余計に興味がそそられる。

コース規模は18ホール、7057ヤード、パー70。今号はその物語に迫ってみたい。
設立は1913年。アメリカでは全米オープンをアマチュアが制するなどゴルフ熱がいやがうえにも高まっていた時代だ。コースデザイナーであり、設計者でもあったジョージ・アーサー・クランプ(1871~1918)は旅の途中で見つけた地形に惚れ込み「理想のコースを造れると確信」私財を投げ打って全身全霊をコース建設にかけた。建設途上では、22,000本の切り株を伐採しなければならないほどの難工事や資金ショートにも見舞われたという。それにも関わらずクランプはコースの完成を見ることなくこの世を去っている。なぜか物悲しさも残るが、クランプが世界1位というランキングを知れば「やはり間違いはなかった」と胸を張るに違いない。因みにパーよりも1打少ないバーディーと言う用語は、1903年にあるプレーヤーが1打少なくホールアウトした時、プレー中に「flew like a bird」と叫んだのが始まりで、この時代にアメリカで一般化されたというエピソードがあり、縁を感じさせるものだ。Bird(バード)はアメリカのスラングで「優れた」「素晴らしい」と言う意味があり、birdie(バーディ)に変化して普及していったそうです。

コースの建設はクランプの情熱と執念を知る彼を取り巻く友人やエキスパートに受け継がれていく。多くの名設計家が現地を訪れて助言を行っているが、その中にハーリー・コルトやC・H・アリソンの名がある。とりわけアリソンは、日本で東京ゴルフ倶楽部、川奈ホテルゴルフコース 富士コース、鳴尾ゴルフ倶楽部、廣野ゴルフ倶楽部を設計し、これが世界の名コース100選の中にランクされるというのも偶然の産物とは思えない絆を感じるのは私だけではないだろう。

2年後に改造工事が行われたが、これにもアリソンのほか、全米オープンの開催コースでもあるオークモントCCを設計したウイリアム・フォーズンも加わっている。各ホールも世界の名ホールとして知られる構成。そういった意味においてパインバレーGCは多くの知恵と技術論、設計家の思想が終結した芸術品と言うことができよう。名コースは執念と友情、そして多くの英知が詰まった舞台。だからこそ、世界ナンバー1と言う称号を今に受け継ぐコースなのだろう。
(※本文とゴルフ場の写真は関係ありません)

■ 登録・解除フォーム

ご登録されたいE-mailアドレスを入力し、ご希望の項目ボタンを押してください。