ゴルフの思い出!

NICE ON 11月号【Vol. 421】


ゴルフの思い出!

私がゴルフクラブを始めて入手したのは1972年頃だと思います。大学の後輩がゴルフ場関連企業に入社したのがきっかけで、フルセットを無理やり買わされた記憶があります。その当時はゴルフはやっていませんので無謀な買い物でした。多分しばらくの間、部屋の隅に眠っていたのだと思います。

そのくだんの友人に誘われて初めてプレーしたのは兵庫県の千刈カンツリー倶楽部。詳しくは覚えていないのですが、池越えのパー3ホールでワンオンした記憶だけが蘇ってきます。これでゴルフっておもしろいなぁと感じたのだと思います。
1970年代の時代背景は、世はまさに高度成長期。日本万国博覧会(1970年大阪万博)、ボウリングのブームそして長嶋茂雄選手の引退(1974年)などがありますが、ゴルフのトピックスはあまり触れられていません。1971年に青木功が関東プロゴルフ選手権で初優勝、尾崎将司も同年の日本プロゴルフ選手権で初優勝しています。AO時代の幕開けです。1975年には村上隆が日本4大公式戦を全制覇したのですがニュースとしてはひっそりとしたものでした。1976年に中島常幸がゴルフダイジェストトーナメントで初優勝、この頃からじわじわとゴルフというスポーツが一般社会に認知されてきたようです。

高度成長期の波に乗り大手ゼネコンがゴルフ場造成に名乗りを上げ、各地に開発が活発になり、1975年には日本のゴルフ場は1000コースを越えていたそうです。
そんな時代にゴルフ業界とは関係のない一介のサラリーマンだった私がゴルフクラブを持っていたことには驚きです。
さてゴルフの思い出ですが、初めて会社のゴルフコンペに参加した時先輩から、キャディーさんの言うことはよく聞くこと(その頃はキャディー付きが普通でした)、クラブは数本持ってボールのあるところまで走ること、そして練習をしておくことなどを厳しく云われました。また人の迷惑やプレーのじゃまにならないようにすることや服装の注意まで聞かされたような気がします。コンペの2週間ほど前から毎日仕事が終わってから練習に行った記憶もあります。コンペは滋賀県の日野ゴルフ倶楽部クイーンコース、その時のスコアが60・55の115、たくさんのハンデももらっていたので第3位に入賞、ゴルフってこんなものかと思ったのですが、その後このスコアをクリアするのに5年以上かかったような気がします。ゴルフに行くのも年に2~3回ぐらいでしたので、そんなに早く上達することはありませんでした。

もう一つスコアの思い出、古い話ではあるのですが滋賀県の朝宮ゴルフコース(その頃はアヤハグループ、今はオリックス・ゴルフ・マネジメント)でハーフ42が出ました。パーが3ホール、残りの6ホールはボギー、その頃の私にとっては完璧なゴルフ?しかしその後20年以上このスコアをクリアすることが出来ませんでした。
今でも42を出すのは至難のスコアですが、ゴルフって本当にむずかしいけど楽しい。
これからも楽しいゴルフでベストスコアの更新を目指します。

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