ギャラリースタンド
世代交代が鮮明の女子プロツアー。新たなるヒロイン出現で再ブーム到来も
日本女子オープンで18歳の畑岡奈紗選手が連覇、40年ぶりの快挙!!
プロトーナメントも男女とも後半戦に入り佳境に入った。ギャラリー数も大幅に回復し、若いゴルファーやファンがプロの熱戦を楽しんでいる。
そんな中、先ごろ行われた女子日本一を決める日本女子オープン選手権で、18歳の畑岡奈紗が、ともに国内四大大会新記録の通算20アンダー(268)でアマチュアとして初めて制した昨年に続き大会2連覇を果たした。連覇は昭和43年から4連覇、51年から2連覇した樋口久子以来なんと40年ぶりの快挙。
日本の各スポーツ界も若返りが顕著で、「○○年振りの快挙」という見出しがマスコミで多く躍る中でのゴルフ界の出来事だ。最終ラウンドは守りに入ることなく序盤から攻め続けた。そのプレー振りが功を奏し、2位に8打差をつけるまさに圧勝だった。ゴルフ場につめかけた1万2千人を超えるギャラリーだけでなく、テレビ観戦をしていたファンの度肝を抜いたのも記憶に新しい。
日米両ツアーで活躍し、日本の第2次ゴルフブームを牽引したひとりとして貢献度の高い宮里藍選手が今期で現役を引退した。世代交代が進む日本女子ゴルフ界の新鋭として注目されていた畑岡選手の偉業はまさに世代交代を告げるファンファーレとなった。畑岡選手も「これからのゴルフ界は私たちの世代が引っ張っていかなければならない役割がある」と、力強く語ったのも印象的だった。
日本で最初のプロゴルファーが誕生したのは1920年。女子プロはそれから40年経った1960年代に入りゴルフ場に勤める女子従業員の中からプロとして活躍したいという機運が急速に高まった。
1961年に東京・晴海の東雲ゴルフ場において「日本女子ゴルフ同好競技大会」がプロの卵とされる28人の参加のもと行われた。これが日本の女子ゴルフの起源とされている。
1967年、川越CCで初めての女子プロテストが開催され、41名のプロ第1期生が誕生、女子プロが正式に認められるようになった。
では、アマチュアとして日本で最初にプレーした女性はと言うと・・・。ゴルフ史では諸説が存在するが、有効な資料としてわが国のゴルフの発祥とされる神戸ゴルフ倶楽部にその名残を見つけることができる。倶楽部設立110数年の歴史を刻んできた同倶楽部。その史実を追ってみると、創設は1901年(明治34年)4ホールで開場、2年後に9ホール、1904年(明治37年)に18ホールに拡張されている。この神戸ゴルフ倶楽部で日本人女性として初めてプレーしたのが小倉末子さんといわれている。初ラウンドは15歳の時、神戸ゴルフ倶楽部が18ホールに拡張された年である。末子さんは兄の庄太郎氏(貿易商)のパートナーとして、夏には毎日のようにラウンドを楽しんだとされている。末子さんはジュニアゴルファーとしても先駆者であったといえる。また東京音楽学校(現東京芸術大学音楽科)の教授でピアニストとしても著名だった女性だ。
女子のゴルフが浸透を見せたのは、大正から昭和一桁に入ってからだ。大正15年5月に女子の第1回関東・関西対抗競技が開催された。男子の同種対抗戦の1年前である。熱戦が展開され、多くの関心を寄せた。これを契機にゴルフ熱が高まり、ゴルフが市民権を得るようになったとされている。
さて毎週のように変わるヒロインの台頭で、人気が上がる女子ゴルフツアー。男子プロツアーの人気が低迷するなかで一服の清涼感と、期待感を抱かせた畑岡選手に拍手を送りたい。長い女子のゴルフ史にも思わず熱い思いを馳せらせた快挙として記憶と記録にとどめたいものである。