ギャラリースタンド
ゴルフを変えたレジェンド
アーノルド・パーマー氏よ、永遠なれ!
「ゴルフ界の偉大な英雄」と称されるアーノルド・パーマー氏の死去(2016年9月25日、87歳)を深く悼み、ここに氏の功績や人間像を振り返ってみたい。
まずは戦績だ。全米プロゴルフ協会(PGA)ツアーで通算62勝、マスターズ・トーナメント4回優勝、全米オープン、全英オープンなどメジャー選手権でも数多くの優勝歴は輝けるものだ。
また、賞金総額100万ドルを初めて達成したのもパーマーだった。
1929年、プロ兼キーパーであったディーコン・パーマーの息子として誕生。その環境からゴルフは父の手ほどきを受け幼少の頃よりめきめきと頭角を現す。その後、ウェイク・フォレスト大学(ノース・キャロライナ州)にゴルフ奨学金で入学。この大学時代に、後のパーマーの人生で多大な影響を持つマーク・マコーマックとの出会いがあった。大学時代には、親友の死でゴルフへの情熱を失い、大学を辞して沿岸警備隊に入っている。ここにも、「人間パーマー」の一部分を垣間見ることができる。
こうした試練を乗り越え、ゴルフへの情熱を取り戻したパーマーは、25歳の時、全米アマ選手権で優勝し、プロに転向。パーマーの人気を確実にしたのは、1958年のマスターズでの優勝だろう。
その精悍な風貌を彷彿とさせるアグレッシブなプレースタイル。父親譲りのゴールド・スミスグリップは当時のゴルファーの間で大流行を生んだ。
当時、プロのゴールデンコンビといえば、ベン・ホーガンとサム・スニードだったが、パーマーの攻撃的なプレーに魅了されたファンはアーニーズ・アーミーと呼ばれる親衛隊を結成、ギャラリー風景を一変させたのだ。もう一つ忘れてはならないものが、テレビ放映の起爆剤となったことだ。
日本でも宮里 藍や石川 遼が彗星のごとく現れゴルフとおよそ無関係だった層をコースへと導いたが、パーマーのそれは、ゴルフ観戦の常識を打ち破っただけでなく、形そのものを変えたといっても過言ではない。
ここで、前述したマコ―マックとの関係を見てみたい。そこにもパーマーの人間性が映し出されている。
マコーマックは、弁護士でパーマーのマネージャー的存在。
パーマーがゴルフに専念できる環境を作った人物だ。二人の契約はシェークハンドのみ、煩わしい書面の契約はなかったという。人間関係の中で、相手への信頼を最も重んじたというパーマーならではのエピソードと言えよう。往年のゴルファーが好んで着たあの傘マーク(カラーパラソル)の生みの親でもある。ビジネスの成功は地球規模で広がった。マコ―マックが唱えるビジネス哲学は「相手の心を読む」だったというから、まさにパーマーとの関係性が雄弁に物語っているといえる。
偉大なゴルファーであると同時にゴルファーを超越した存在。
象徴であり、まさにレジェンド。
ゴルフの先駆者は引退後は慈善活動に取り組んでいる。
今一度、パーマーの功績をたどりその人間性にも触れてみたいものだ。