ゴルフヒストリー No.3

NICE ON 3月号【Vol. 437】


終わりのないゴルフの起源説の本家争い
日本での始まりは奈良朝にあったとする主張も見逃せないが・・・

ゴルフが融通無碍のゲームであるというのは、その起源が不明で、本家争いが未だホットに続いていることに繋がるのだろう。
最もポピュラーなのが、スコットランドの牧童の遊び。暇に任せて棒切れで石ころを打ったというものだ。これは、伝説的ジョークと捉える歴史家もいるが、現存する最古のゴルフに関する文献が唯一スコットランドに残っていることからスコットランド説を唱える人が多い。1475年のゴルフ禁止令がそれで、当然起源はそれより遥かに古いことが想像できるが、残念なことに文献がないため断定には至らないのが実際である。
これに対して、本家を唱えているのが、オランダのコルベンを起源とする説だ。17世紀にオランダの画家が書いた絵画の中に、コルベンとかコルフ(COLF)とか呼ばれるゲームが描かれていたからだ。これに対し、スコットランド説を推す歴史家は、これは、ゴルフ禁止令が出されてから150年も後のことで、オランダに起源を求めるのは無理があると反論している。ただ、オランダには、「ゴルフ」に関して、1300年頃からの文献が存在し、その原典資料も紹介されていることからオランダ説も手堅いものとなっているというのが実情のようだ。
こういった棒(クラブ)で石(ボール)を打つといったゲームは、当時は世界のどこでも行なわれていたであろうし、海を隔てて向かい合うヨーロッパでは当然伝播したと思われる。こうしたゲームの発展形が、ホッケー、アイスホッケー、ポロ、クロッケーとなり、もうひとつの発展形としてゴルフになったと見る向きも多い。

いずれにせよ、ゴルフというスポーツが、中世ヨーロッパの様々な国で行なわれていたスティックとボールを使用したゲームの中からの発展形であることには間違いないだろう。
日本では、奈良朝にみられる打毬というゲームもそのひとつというホットな説がある。中国にも明の時代(14~17世紀)には「すい丸」というゴルフに酷似したゲームが行なわれており、それを描いた絵画も存在するという。奈良朝の打毬にゴルフの起源をもとめるのは少々飛躍があるかも知れないが、ゴルフというゲームの原型・先祖であるという説には温かさとともに悠久の時間を感じずにはいられない。打毬は、奈良時代に行なわれていた宮廷の祭事スポーツで万葉集にも引用されているもの。
この打毬説が、太平洋戦争の最中、敵性スポーツとみなされ、ゴルフ存亡の危機にあった折、協会の存続に大きく貢献したというエピソードに日本の文化の優しさをみる。


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