ゴルフヒストリー

NICE ON 5月号【Vol. 451】


全米ゴルフ協会(USGA)の原点は、アマチュアゴルフ協会。
本場英国より、2年も早くゴルフルールを統一化していた!

19世紀末、アメリカでは空前のゴルフブームが起きていた。
ゴルフ場数も1895年には18コースだったが、1900年には1000コースを数えるまでに増加し、まさにバブル期の最中。建設資金は、南北戦争後に生まれた大富豪や富裕層が提供したが、コースを設計したのは、英国からの移民プロゴルファー達だった。
ただ、コースといってもフェアウエイ両サイドにマウンドが林立、グリーン周りやラフには、人工的に造られた小山(チョコレート・ドロップと呼ばれる造型物)が乱立、配されたもので、ハザードも左右対称で極めて人工的、およそ本格派と呼べるものではなかったという。

チャールズ・マクドナルドは、「米国のゴルフの父」と呼ばれるが、ゴルフの基本は、セント・アンドリュースのオールドコースで学んだ。そして1892年に自らの設計で「シカゴGC」を建設している。2年後の1894年には他の既存の4倶楽部に声をかけ「アマチュアゴルフ協会」なるものを組織した。これが、「全米ゴルフ協会」(USGA)の原点となった。ゴルフの本場とされる英国よりも2年も早くゴルフルールの統一化を行なったわけである。これにより、「全米アマ」と「全米オープン」を開催するに至っている。ただ、コースはお世辞にも本格派と呼べるものが少なかったため、マクドナルドは、英国リンクスから名ホールといわれるものを選択、つぶさに見聞し、それらで構成した理想形のコース造りを行なった。ただ、名ホールの模倣に終わることなく独自の感性と分析により、コンポジット・ホールも組み合わせるなどコースの理想形をあくまで追求したと伝えられている。

こうした努力の結晶で、花を咲かせたのが「ナショナル・ゴルフリンクス・オブ・アメリカ」(ナショナルGL)で、後に「球聖」と呼ばれるボビー・ジョーンズが造った「オーガスタ・ナショナルGC」のモデルとなったと言われている。オーガスタの原設計は、名設計家アリスター・マッケンジーだが、それは、マクドナルドが用いた有名ホールの模倣からの展開と同じ道を通ったものであったという。こうしてみると、ナショナルGLが今もなお、米国のコース・ランキングで常にトップクラスに位置づけられていることが理解できよう。ゴルフの設計史上で忘れてはならない存在である。
ゴルフが融通無碍のゲーム、スポーツと言われる所以は、コース造りにおいても窺われる原風景である。

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