ゴルフヒストリー

NICE ON 4月号【Vol. 450】


乗用ゴルフカートの起源は、ロバに乗ってのプレーだった!

ゴルフ史を紐解くと、意外な事象に出くわすことが多い。悠久の流れが時代を超え、私たちに郷愁を抱かせる。だからこそ、ゴルフは面白いのだ。
全英オープンが誕生する前年、1859年にチャールズ・ダーウィンが「種の起源」で進化論を発表した。ダーウィンとゴルフ? どこにそのつながりがあるかというと、ダーウィンの孫に当たるバーナード・ダーウィンにその系譜を見ることができる。バーナードは、名エッセイストとして名を馳せたが、ゴルフジャーナリストとしても高い評価を得ていた。バーナードは、1876年に誕生、弁護士の資格を得たが、なぜか文筆業の道を選択する。この系譜は、父のフランシスが通った道だ。

では、バーナードとゴルフの接点に焦点を当ててみよう。
彼のゴルフ人生は、8歳に始まる。初めてのラウンドは、ロンドン近郊で最古のコース、フィーリックスストー・フェリーGC(1608年設立、設計はトム・ダン)。コース内には、19世紀初頭にナポレオンの攻撃に備えて造った防衛用の大きな塔(マーテロウ・タワーと呼ばれる)があり、コースの象徴として親しまれている。
フィーリックスストー・フェリーGCの創設者であるロード・エルコは、93歳までこのコースでプレーを続けたと伝えられるが、晩年は、ロバに乗ってのプレーだった。これが、近代ゴルフの進化の過程で現れる乗用ゴルフカートの起源と言われている。
バーナードは、1905年に最初の女子の英国対米国の対抗戦「カーティス・カップ」が行なわれたロイヤル・クローマGCでも良くプレーしている。歴史的に由緒あるコースでプレーすることにより、バーナードとゴルフはより密接になっていったといえる。

1886~7年はまさにゴルフの絶頂期を迎える。この頃、後に球聖と称されるボビー・ジョーンズが活躍しゴルフ熱はさらに高まりをみせた。
バーナードは、アバードビーGCをケンブリッジ大学時代の夏休みを利用して訪ねている。ここは、イングランド最古のリンクスといわれるウェストウオード・ホーと同じように、コースには馬、牛、羊といった家畜が放牧され牧歌的な雰囲気を湛えている。このコースもこよなく愛したが、フィーリックスストー・フェリーGCとアバードビーGCはバーナードのゴルフジャーナリストとしての花を咲かせる原点となったようだ。
ゴルフにまつわるそれぞれの事象の起源を探れば、意外な場面に遭遇する。それは、時代を映す鏡でもある。

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