ギャラリースタンド

NICE ON 8月号【Vol. 406】


レガシ―(遺産・遺贈)が感じられる開催コースの一致
ゴルフブームを生んだ舞台と東京五輪開催の霞が関CC

日本のゴルフ場の原点は、1901年(明治34年)に神戸の六甲山にイギリス人アーサー・ヘスケス・グルームの手によって造られた4ホール規模の神戸ゴルフ倶楽部。
また18ホール規模のゴルフ場として最古のものは、1922年に開場した程ヶ谷カントリー倶楽部(神奈川)だ。
日本でゴルフが急速に発展したのは、戦後のこと。1957年にカナダカップ(現ワールドカップ)が霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催され、その模様がテレビ中継されたため、日本人の多くがゴルフに興味を抱いたといわれている。ブーム興隆の後押しをしたのは中村寅吉プロ(程ヶ谷CC所属)と小野光一プロの日本人ペアが団体優勝を飾り、個人戦でも中村がサム・スニードを制し優勝したことだ。
さて日本での公式競技の始まりは1926年の「日本プロゴルフ選手権大会(会場:茨木カンツリー倶楽部)」、翌年1927年に「日本オープンゴルフ選手権競技(会場:程ヶ谷CC)」がスタートしている。1931年には「関東プロゴルフ選手権大会」「関西プロゴルフ選手権大会」が同時に開催された。また、民間ゴルフトーナメントの最初は1960年開催の「中日クラウンズ(名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース)」だ。
こういった経緯をたどり、ゴルフの関心は年々高まっていった。

今年のリオデジャネイロ五輪から112年ぶりに正式競技として復活したゴルフ。オリンピックはまさに国家的イベントといえるが、日本のエースと期待された松山英樹プロ他、男子は世界のトップクラスの多くの選手がジカ熱や治安への不安を理由に欠場したという。世界ランキングという観点に立てば、メジャー大会や米ツアーとは本質が明確に異なる「五輪ゴルフ」の姿がいみじくも浮き彫りにされた格好となった。
2020年東京五輪の開催コースは、カナダカップの舞台となったあの霞ヶ関CC。
日本のゴルフ興隆の契機となったゴルフ場が、63年の時を経て、再び五輪の舞台となるという事実。「日本人的こころ」からすれば、何かしら、不思議なエネルギー、繋がりを感ぜずにはいられない。開催コース決定までには、さまざまな意見や候補が上がった。強い力が働いたとも言われるが、ここは「日本人的こころ」でその事象を理屈抜きで捉えるのも、ゴルフのおおらかさに学ぶいい機会ではなかろうか。

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