ギャラリースタンド

NICE ON 10月号【Vol. 420】


レジェンド宮本留吉はプロとして本格的にクラブ造りを始めた先駆者だった。
初めは自分で使うために造り、徐々に造詣を深めていった。

ゴルフの歴史をこよなく愛するファンにとっては、身を乗り出すようなニュースが舞い込んできた。
今年60周年を迎える株式会社樟葉パブリック・ゴルフ・コース(大阪府枚方市、コース名:くずはゴルフ場)で宮本留吉(1902~1985年)が試合で使ったクラブや,自らが造ったとされるクラブ約50本が見つかったというものだ。宮本プロは昭和43年から亡くなる昭和60年まで同ゴルフ場で顧問を務めていた。60周年の記念事業として目玉を探していたが、ゴルフ場関係者が倉庫を整理しているときに偶然見つかったものだという。見つかったのは“トム・ミヤモト”ブランドのドライバーをはじめ、アイアン、パターなど合計約50本に及ぶ。宮本プロの使用したクラブがこれほど大量に見つかったのはもちろん今回が初めて。ほかにキャディーバッグや写真等もあったというからファンにとってはゴルフ史を知るうえで貴重なものだ。

※本文と写真は関係ありません

国産初のゴルフクラブは昭和8年(1933年)にミズノが発売している。アイアンについては昭和2~3年頃に姫路発という説もある。兵庫県三木市にある金物試験場にグリーンのホールカップきりとともにアイアンヘッドの製造研究の依頼があったのが始まりというものだ。
これら起源・原点には諸説があるが、驚くのは今回見つかったのはそれ以前のものである可能性があるということだ。国産クラブがまだなかった昭和初期に自作したものもあるという。まだ国産クラブがなかった時代に、宮本は自らが手づくりしたクラブを手にして競技に望んでいたというエピソードもある。キャディの時代から自分で木を削ってクラブを作るのを原点に、プロになってからも福井覚冶プロにクラブの修理技術を学び、クラブ造りへの情熱をさらに進化させていった。
また、宮本はクラブ工房、販売店、室内練習場を合体させたゴルフ空間施設を初めて作ったプロとしても知られ、クラブ造りだけでなくゴルフ界の未来志向においても先駆者であったといえそうだ。
くずはゴルフ場は、昭和40年に関西のプロを招聘し、見せるゴルフの大会として「関西有名プロゴルフ競技会」を開催、後にくずは国際トーナメントとして多くのファンに親しまれた経緯がある。日本のゴルフ史を知るうえでも今回の発見は貴重な資料となることは間違いない。それにしても、60周年というゴルフ場の節目に、あたかも時空間を越えて蘇った偶然、不思議さ,縁、などゴルフの奥深さを物語るものと言えまいか。

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